特措法改正前後で逆転する与野党 緊急事態宣言での私権制限とその限界

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特措法改正前後で逆転する与野党 緊急事態宣言での私権制限とその限界

4月4日、東京都内の新たな感染者が118人も判明し、初の100人超えを記録した。全国では367人となり、これも過去最大数だ。コロナの感染拡大は留まるところを知らず、先の見通せない状況に国民の不安と不満が募る。自ずと、次なる策としての「緊急事態宣言」への期待が高まる…。

そもそもこの「緊急事態宣言」、 改正新型インフルエンザ対策特別措置法に基づく措置で、首相が地域と期間を定めて発令する。これによって地方自治体は外出自粛の要請やイベントの中止要請などを行う法的根拠を得られるため、感染が拡大する自治体の首長からは国に早期の発令を促す発言が相次いでいる。

しかしこの「緊急事態宣言」には、限界と副作用があることも忘れてはならない。

最もわかりやすい限界は、この宣言は「要請」に法的根拠を与えはしても、罰則は設けられていないという点だ。大企業や施設管理者などに対してはそれでも相応に効果を発揮するだろうが、個人となると話は別だ。仮に外出自粛要請を無視したとしても、お咎めは無い。逆らう者は容赦なく射殺するとしているフィリピンまでは行かなくとも、多くの諸外国では一定の強制力を発動できるのとは対照的だ。

副作用は、限界があるとはいっても私権が制限されることによる人々の委縮と、経済全体の落ち込みだ。人々が不要不急な外出は行わないことを前提にして社会は回り始めることになる。鉄道のダイヤは減り、多くの店舗や企業は休業することだろう。

「緊急事態宣言」は完全に人の動きを止めることはできない、しかし経済は確実に停滞する。政府がこの諸刃の剣を抜くことを躊躇う理由はそこにあると言えるだろう。

なぜ、このような中途半端に見える制度になっているのだろうか。

2月から3月上旬にかけて、政府与党の求めに応じて改正新型インフルエンザ対策特別措置法が与野党で協議された。この際、多くの野党議員や識者達は総理大臣の宣言によって私権が制限されることに大きな懸念を表明していた。野党の代表らは、緊急事態宣言の運用は慎重に、抑制的にすべきだという指摘を繰り返した。多くのマスコミもこの点を強調して報道していた。

それほどに、日本では私権の制限に対する警戒感が根強い。各国のリーダーが「コロナとの戦いは戦争だ」と表現するのはただの比喩的表現だけではない。そこには国家社会の勝利のために私権を制限することを国民に納得させる効果が期待されている。しかし、日本で仮に政府がこのような発言をしても反発の方が大きいことは想像に容易いだろう。

さて、特措法改正の議論から一ヶ月近くが経過した今、与野党の立場は完全に逆転してしまったかのように見える。

野党やマスコミは早期に発令すべきと政権を突き上げている。とある野党の代表は「緊急事態宣言を出さない理由が理解できない」とまで述べている。一方で政府は緊急事態宣言を慎重に運用する立場をとり、都内の新規感染者が100人を超えた今日に至っても発令されていない。

一ヶ月で状況はかなり変わった。世の中の雰囲気も変わった。
人々の意見や立場が変わるのも無理はない。

しかし変わらない現実もある。緊急事態宣言は不完全で限界のある諸刃の剣だ。発令すればコロナの感染拡大を緩和できるだろうが、その後の副作用も大きい。感染爆発が発生してしまう前に政府は決断を急ぐべきだろうが、しかし簡単に発令すればそれで良いというものではないことも私達は理解すべきだ。

そして何よりも今私達がすべきことは、緊急事態宣言が出ていないのを言い訳に、自粛疲れを正当化することではない。社会や身の回りの人の安全を考えて、例え法的根拠や罰則がない自粛要請の段階であっても一人一人がこれを真摯に受け止めて不要不急な外出を控えることではないだろうか。3密と言われる危険な状況を、しっかり避けることではないだろうか。

それができれば、緊急事態宣言で経済を決定的に停滞させなくとも済むはずなのだが…。

関東各都県の外出自粛要請もむなしく、関東近隣の観光地に人が集まる光景が散見される。熱海も大賑わいだったと耳にした。

行先が静岡なら関東じゃないから良いのか?そういう問題ではないはずだ。

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